月曜日, 10月 02, 2006

キャリアを変えることの損得

多くのマンガ家は10代後半~20代前半でデビューする。新人マンガ家に必要かもしれない週に数回のメチャクチャな徹夜生活は若い体の方が耐えやすい。家族もちならなおさら生活に制限が生じてくる。

私は典型的ではない。学校での勉学を終え、初めの作品を手がけた時にはすでに27歳だった。たしかにこれより晩く開始したマンガ家はいるが、歳が上の方だと言うことはたしかだ。だからゴッホは27歳で画家になり、ベートーベンの音楽は歳をとればとるほど偉大になっていった話(それも聴力を失いつつのことである)などを自分に言い聞かせて元気付けている。

こういうことからも人には「今までの勉強は無駄ではなかったのか」とたまに聞かれる。

まあ、まずは何事でも昔よりは明白に考えられるようになった。物理学を勉強することによって身に付く一般的な考え方はどんな分野にも応用できるし、実際私のマンガ道における色々な面でも役立っている。また前回でも話したが、マンガを描く上では色々な技術が必要となってくるので、それをなんとか自分で身につけることが出来れば大変助かるのである。

自分で新しいことを覚えるのは科学実験と変わらない。昔の人のやり方を調べ、自分のビジョンを開拓し、それをやりとおすために必要なテクニックを開発しないといけない。ちなみに私は科学実験とマンガに共通な器具を買う局面がいつも楽しみだ(例えば最新コンピューターの購入)。でも最近は最高財務責任者(うちの奥さん)がいいかげん投資の利益を目にしたいとおっしゃっている。ナハハ。

マンガ家は時々「マンガ家になるのならどれくらい教育を受ければいいのでしょうか?」という質問を聞かれるようだ。偉大な石ノ森章太郎先生曰く、「いけるのなら、どんどん上の学校に行きなさい! 同じものを見てもたくさんの目(知識)をもっているほうがより広くみられる……それが『得』なのだ!!」


でも私の場合、博士課程を修了することにはもっと深い価値があったと思う。どんな難しいチャレンジでも最後までやりぬく自信を得ることができたことだけでなく、もし中断していれば、いずれまた物理学の道を辿るべきだったかと迷い始めるだろう。そんな場合、恐らく私は物理の講義でマンガを描いて先生に迷惑をかけている者だけではなく、編集者が締め切りでいらだっている最中に物理の公式を計算している者になっていたかもしれない。ここまでやったことで「選ばざる道」はしっかりと自分で歩まないと決めることができ、今は心置きなくマンガに専念することができるのである。