日曜日, 8月 20, 2006

惨事と天からの思いがけない贈り物


大学院の卒業式を控えた2週間前、父が心臓発作で54という若い年で亡くなった。

世間の災いから保護された安全な環境で育った私は、人生上初めての大きなショックを経験した。父は物理学者だった(私がその道を歩んだ理由のひとつである)。父はよく私が幼い頃から一緒に工作や実験をしてくれたし、自分のアイデアに情熱を込めて追求する人だったから、私が歩む道を変えて自分にとって一番意味があることを目指す必要を理解してくれていた。

大学院を卒業するまでは苦しい時もあり(その道を歩まないと決めた後はなおさら大変だった)、終わった後は人生バラ色になるだろうと思っていたが、惨事の後、実際にはもっと辛かった。我々の与えられた人生は限りあるため、その時間を最大限に使うことの重要性を今一度思い知らされた。

そんな時、ちょっとした奇跡が起こった。講談社サイエンティフィク編集部の大塚さんから科学書籍のイラストを描かないかという電子メールが届いた。父は高名な学者だったために朝日新聞のお悔やみの記事で取り上げられ、そこに私のことが書かれていたのがきっかけになった。以前にお悔やみの記事を書かれた記者が私のキャリアの変わり方を不思議に思ったことから私をインタビューし、お悔やみの記事に入れたのだった。実際それがコネクションを生み出すことになるとはだれが予知しただろうか?

とにかく初めは10数枚のイラストを新しい科学シリーズのために描かないかということだった。私はポートフォリオを始めるのにも絶好のチャンスなので「喜んでやらせていただきます」と答えた。大塚さんは、それでは参考にマンガのサンプルはないかと聞く。

「うわ、どうしよう…」と思った。

こまったこまった。ここ7年間、研究室にこもったまま長い間マンガは描いていなかったし。慌てて何枚か進化論に関したマンガにありそうなページを描いて、電子メールで送った。

「それではイラストはともかく、オールマンガで220ページの本を作りましょう」ということになり、本のテーマと内容もこちらに任せると来た。

私はその場でひっくり返った。マンガで17頁のショートストーリーを描いたこともないのに。数個のコマが続いたマンガを描いたのは恐らく10年前、大学の頃だっただろうか?それでもこんな絶好の機会を逃すもんかと

「よっしゃ!やりましょう!」と自身満ちたように演じた。(大塚さん、バレバレでした?)

実にこれは「先に答えて後で心配する」といった状況だった。こうやって最初の大きなプロジェクトが始まった。